日本男子論 (6)福沢諭吉

されば夫婦家にるは必ずしも常に快楽のみに浴すべきものにあらず、苦楽相平均して幸いに余楽を楽しむものなれども、栄枯無常の人間世界に居れば、不幸にしてただ苦労にのみ苦しむこともあるべき約束なりと覚悟を定めて、さて一夫多妻、一婦多男ただんは、果たして天理にかなうか、果たして人事の要用、臨時の便利にして害なきものかと尋ぬるに、我輩は断じていなと答えざるを得ず。天の人を生ずるや男女同数にして、この人類はもと一対の夫婦より繁殖したるものなれば、生々せいせいの起原に訴うるも、今の人口の割合に問うも、多妻多男は許すべからず。然らば人事の要用、臨時の便利において如何いかんというに、人間世界の歳月を短きものとし、人生を一代限りのものとし、あたかも今日の世界を挙げて今日の人に玩弄がんろうせしめて遺憾なしとすれば、多妻多男の要用便利もあるべし。世事せじ繁多はんたなれば一時夫婦の離れ居ることもあり、また時としては病気災難等の事も少なからず。これらの時に当たっては夫婦一対に限らず、一夫衆婦しゅうふに接し、一婦衆男しゅうだんに交わるも、木石ぼくせきならざる人情の要用にして、臨時非常の便利なるべしといえども、これは人生に苦楽相伴うの情態を知らずして、快楽の一方に着眼し、いわゆる丸儲けを取らんとする自利の偏見にして、今の社会を害するのみならず、また後世のためにはかりて許すべからざる所のものなり。
男女にして一度ひとたびこれを犯すときは、既に夫婦の大倫を破り、じょの道を忘れて情を痛ましめたるものにして、敬愛の誠はこの時限りに断絶せざるを得ず。仮令たとえあるいは種々様々の事情によりて外面の美を装うことなきにあらずといえども、一点の瑕瑾かきん、以て全璧ぜんぺきの光を害して家内のめいを失い、禍根一度ひとたび生じて、発しては親子の不和となり、変じては兄弟姉妹の争いとなり、なお天下後世を謀れば、一家の不徳は子々孫々と共に繁殖して、遂に社会公徳の根本を薄弱ならしむるに至るべし。故にいわく、多妻多男の法は今世こんせいを挙げて今人こんじん玩弄物がんろうぶつに供するの覚悟なれば可なりといえども、天下を万々歳の天下として今人をして後世に責任あらしめんとするときは、我輩は一時の要用便利を以て天下後世の大事にうること能わざる者なり。
男女両性の関係は至大至重のものにして、夫婦同室の約束を結ぶときは、これを人の大倫と称し、社会百福のもとい、また百不幸の源たるの理由は、前にべたる所を以て既に明白なりとして、さて古今世界の実際において、両性のいずれかこの関係を等閑なおざりにして大倫を破るもの多きやと尋ぬれば、常に男性にありと答えざるを得ず。西洋文明の諸国においても皆しからざるはなきその中についても、日本の如きは最も甚だしきものにして、古来の習俗、一男多妻を禁ぜざるの事実を見ても、大概をうかがい見るべし。西洋文明国の男女は果たして潔清けっせいなりやというに、決して然らず、極端について見れば不潔の甚だしきもの多しといえども、その不潔を不潔としてこれをにくいやしむの情は日本人よりも甚だしくして、輿論よろんの厳重なることはとても日本国の比にあらず。故に、かの国々の男子が不品行を犯すは、初めよりその不品行なるを知り、あたかも輿論に敵してひそかにこれを犯すことなれば、その事はすべて人間の大秘密に属して、言う者もなく聞く者もなく、事実の有無にかかわらず外面の美風だけはこれを維持してなお未だ破壊に至らずといえども、不幸なるは我が日本国の旧習俗にして、事の起源は今日、得てつまびらかにするによしなしといえども、古来家の血統を重んずるの国風にして、嗣子ししなく家名の断絶する法律さえ行われたるほどの次第にて、しきりに子を生むの要用を感じ、その目的を達するには多妻法より便利なるものなきが故に、ここにおいてかしょうやしなうの風を成したるものの如し。天理の議論などはともかくも、家名を重んずるの習俗に制せられて、むを得ず妾を畜うの場合に至りしは無理もなきことにして、またこれ一国の一主義としてじょすべきに似たれども、天下後世これより生ずる所の弊害は、実に筆紙ひっしにも尽し難きものあり。